堕とされた母 ⑭

「好きだって言ったじゃない?私のこと、ずっと愛してくれるって」
「うん、まあ、そういうことも言ったけどね」
ありふれた別れの光景、ありがちな愁嘆場だともいえたが。
冷たく別れを告げるのが(ひどく大人びてはいても)まだ中学生の少年であり、それに泣いてすがるのが、母親ほども年上の女だというのは、やはり異常な構図で。
達也が今さらに持ち出してきた、この組み合わせの不自然さを如実に物語っていたのだが。
しかし、客観にはどれほど珍奇だろうと滑稽だろうと、当の本人には、それどころではない。見栄も恥もない取り乱しようで、佐知子は達也の膝を揺すぶり、
「嘘だったの?ぜんぶ、嘘だったの?私、信じてたのにっ」
「そうじゃないけどさ」
少しも、佐知子の激情には巻きこまれることなく。それでも達也は、口調を少しだけ優しいものに変える。
「ただ、このまま続けても、あまり幸福な結果にはならないんじゃないかってね。だったら、綺麗な思い出にできるうちに、お別れしたほうが」
「いやっ、いやよ、お別れは、いやっ」
佐知子は、達也の腿に額を擦りつけて、激しく頭をふった。
参ったな…と、達也は困惑するふりで呟いて、
「でも、佐知子だって言ってたじゃない?長く続けられる関係じゃないって」
「いやっ」
確かに佐知子は、何度となくその言葉を口にしていた。達也との関係の端緒において。
それは予感であり覚悟であり、また言い訳であったわけだが。
しかし、それは、まだ達也と一線をこえる前だから、言えた科白であった。
「ダメなの、もう、私、達也くんなしでは、生きていけない」
達也の与えてくれるこの世ならぬ快楽、若い牡に肉体を貪られることの恍惚を失っては、本当に生きていける気がしない。それが、いまの佐知子だった。
「大袈裟だなあ」 しかし、達也は軽く鼻で笑った。
「人は、太陽の光とココナッツ・ミルクさえあれば生きていけるんだよ?」
脈略のない言葉は、あんまり年増女の醜態が可笑しくて、つい洩らした嘲弄だった。
意味はわからなくても、からかわれていることだけは解ったから、
「ひどい…」 佐知子は泣き濡れた眼に怨みをふくんで、
「もう、私の体に飽きたのね?だから、そんな…」
ヒステリックに叫びかけて、その自分の言葉の惨めさが胸につまって、語尾を嗚咽にまぎれさせた。
「飽きたってことはないけどね。いささか食傷気味なのは確かかな」
「あぁ、そんな…」
「それに。佐知子は、ずっと愛してくれなんていうけどさ。それはキツイよね、正直いって。佐知子の年を考えたらさ」
「ああ、ひどいわぁ」
ついに佐知子は号泣しはじめる。最大の泣き所である自分の年齢を、これ以上ないような、無慈悲なあからさまな言葉で攻められて。
しかし、これほどの侮辱を受けても、この場を立ち去ることは出来ないのだ。
そうすれば、達也を失ってしまうから。
だから、佐知子は、身も世もないような悔しさ惨めさに泣きじゃくりながらも、達也にしがみつく力を強め、
「……捨てないで…」 最低の矜持さえ放棄して、そう繰り返すしかなかったのだった。
「こんなヒドイことを言われても、まだ、そう言うんだ?」
呆れたように達也は言ったが。無論、そんな佐知子の反応は見越していたのだった。
このはるか年上の女の肉も魂も完全に掌中にしているという
倣岸な自信があればこそ、あんな雑言を吐いてみせたわけだから。
「…だ、だって……」 果たして、佐知子は涙に濡れた面を上げて、哀切な訴えを続ける。
「達也くんの、言うとおりだもの…わかっているの、私は、こんな年の女で、若い達也くんには、不釣合いだって、わかってる」
血を吐くような思いで、常に心の底にわだかまっていた辛い認識を言葉にして。
“でも”と、佐知子は、哀しい叫びを迸らせた。
「好きなのどうしようもないのっ、離れられない、おねがい捨てないでお願いだからぁっ」
こみ上げる激情に、またワーッと声高く泣き出しては、ヒシと達也にしがみついた。
(……ったく、見苦しいなあ。トチ狂った年増は、これだから)
実際、見苦しいとしか言いようのない錯乱ぶりを見下ろして、達也は心中に毒づく。
だが、あの生真面目な雰囲気の、貞淑な寡婦であった同級生の母親をここまで堕としめてやったことには、相応の満足を感じて。
さて……と。ようやく本筋に戻ろうとする。
手を差し伸べて、オイオイと泣きじゃくる佐知子の髪に優しく触れた。
ビクリと佐知子が敏感な反応を示して、泣き声が弱まる。
「……あらためて、考えると」
達也は、柔らかな声、佐知子を誑かした、あの深い声音で語りかけた。
「奇妙な関係だよね、僕らって」
「………………」
佐知子が、おずおずと顔を上げて、上目づかいに達也を見た。
「どう言い表すのが、相応しいのかな。恋人、ってことはないよね。こんな、親子ほども年が離れててさ。恋人だなんっていったら、笑い話だ」
優しい声で、残酷きわまる言葉を、サラリと告げる。
胸を引き裂かれるような痛みと悲しみに、佐知子は耐えて、
「……ど、奴隷…よ……」 勝手に口を突いた言葉に、一筋の光明を見たように、
「そう、奴隷、佐知子は達也くんの奴隷なの、そう誓ったわ」
勢いこんでまくしたてて、達也の手を両手で捕まえて、指先に唇を触れさせた。
あらためて、隷属を誓うように、何度もくちづけを捧げながら哀願の眼を達也に向ける。
「ああ、奴隷ね。そんなことも言ってたっけ」
鷹揚な態度で佐知子に手を与えながら、達也は、
「僕は、ちょっとしたプレイのつもりだったんだけど。佐知子は本気だったんだ?」
ヌケヌケとのたまった。
佐知子は深くうなずいて、
「奴隷よ、佐知子は達也くんの奴隷」 真情のこもった声で、繰り返した。
「奴隷でいいから、だから」 どうか、そばに置いてくれと、強く達也の手を握りしめる。
「ふむ……。まあ、そっちのほうがわかりやすいかな」 達也は言った。
「佐知子は、僕のチ○ポから離れられなくなった、セックス奴隷ってことで。うん、そのほうがスッキリしてるね。いい年の母親が息子の同級生を相手に愛だの恋だの言うよりは」
あっけらかんと吐かれた言葉は、また佐知子の胸を刺して。
恥辱とともに、佐知子は、愚かしい恋の夢が破られたことの痛みを噛みしめた。
それでも、達也に捨てられることだけは耐えられないから、
甘んじて受け入れるしかなかったのだが。
「……でも、私が達也くんを愛していることは、本当のことよ」
最後の意地のように、佐知子は呟いた。哀しげな声で。
「まあ、それは構わないけどね」 尊大に、若い主人は許可を与えた。
……実質的に、なにが変わるわけでもなかった。
ただ、ふたりの関係に被されていた偽りの皮が、完全に引き剥かれただけで。
愚かな女の愚かな幻想が殺されただけのことである。
それさえも大した問題でもなかったのかもしれない。当の佐知子にとっても。
達也の言葉に、どうやら今すぐ捨てられることは避けられたと悟った佐知子の胸には、悲しみよりも強い安堵の感情がわいていたのだから。
しかし。本題はこれからだった。
ここまでの迂遠な遣り取りは、達也が遊んでいただけのことだから。
悪仲間たちへの約束を果たすために、達也は暫時、思案顔をつくって、
「……でも、佐知子が完全に僕の奴隷だってことになると」
そう切り出した声の響きが、またぞろ佐知子に不安な感情を喚起させた。
「やっぱり、今までみたいに、毎日逢うってことは出来なくなるな」
「どうしてっ!?」 それでは話が違うと食い下がる佐知子に、達也は何食わぬ顔で、
「奴隷みたいな女はね、他にも何人かいるんだ」
「………………」 佐知子の形相が強張り、瞳に炎が燃え立った。
薄々感じてはいて、懸命に眼を反らしていた事実を、ハッキリと告げられて。
胸を焦がすドス黒い嫉妬の感情を、しかし佐知子は抑えなければならないのだ。
そんなことを言える立場ではないと、今さっき、自分から認めたのだから。
「最近は、こうして佐知子にかかりっきりで、他の女たちには逢ってないわけだけど。いつまでも、放っとくわけにもいかないんだよね」
人もなげな達也の言葉の、行き着く先を察しても、そのまま聞くしかなく。
「だから。佐知子が、奴隷としてでも僕のもとにいたいっていうなら。これからは、自分の順番が回ってくるのを待ってもらわないとね」
ことさらに神経を逆撫でするような言い方を達也は選んで。
どう? と、佐知子に問うた。
「………………」
キツく唇を噛んで、叫びだしたい感情を堪えた。溢れる涙をこらえることは出来なかった。
ポロポロと涙を零しながら、佐知子は、それでも頷こうとしている自分を知る。
達也を完全に失うよりは、と。
……どこまで、堕ちるのか。
一瞬掠めた理性に半ば呆然として、達也を見やった。
曇った視界に、傲然と見下ろす達也が映る。わずかに口の端を歪めて、でもそれは優しい微笑ではない。冷たい笑み。
酷薄な表情を浮べたその面が、しかし、やはり秀麗だと思う。
その眼に見すえられると、熱く甘い痺れが背を走った。いつものように。
どうしようもなく達也に囚われてしまっている自分を、あらためて思い知った
佐知子は、諦念とともに受け容れるしかなかったのだが。
「……どれくらい…?」
それにしたって、受諾に代えたその問いかけは正直に過ぎて、さもしいとさえ言えた。
「どれくらい待つのか、って?」
嘲笑をこめて達也が念押しした通りのことを、訊いたわけであるから。
どれだけ待てば“自分の番”が回ってくるのか? と。
「そうだな。取り合えず、佐知子にはしばらく我慢してもらうことになるな。ここ最近は、ぶっ続けだったんだから」
「そんなっ…」
「我慢できそうにない?まあ、そうかもね。佐知子のチ○ポ中毒は、かなり重症だから」
ふむ、と達也は首をひねって、
「これで、また裕樹くんとの関係が復活したりすると…それは、マズイよねえ」
「そんなっ、そんなことしないっ」
即座に佐知子は否定した。
「裕樹とは、もうしてないわ、本当よ。これからだって、しない」
躍起になって主張して。それでも疑う眼を向けられて。
佐知子は心底から、裕樹との相姦の過去を悔やんだ。
「まあ、いまさら裕樹くんとじゃ満足できないだろうけどね」
「そうよっ、そうなの、だから、」
「そうすると……他に男を探そうとするかもな。佐知子くらいの女なら、相手には困らないだろうし」
「あぁ、どうして…」 そんなことを言うのかと、佐知子は強く頭をふって、
「佐知子が抱かれたいのは、達也くんだけなのに」
「僕のほうが、佐知子の本性をよく解ってるってこと。チ○ポなしじゃ、一日だっていられないんだから。いまの佐知子は」
「そんなことっ、それは達也くんだから」
必死な佐知子の訴えは聞き流して、達也は、
「さて。どうしたものかな。奴隷に勝手に男あさりをされたんじゃ、僕も気分が悪いし」
考えこむふりをして。“ああ、そうだ”と、さも今思いついたように切り出した。
「こうしよう。僕が会えない間は、高本と市村に佐知子の面倒をみてもらう」
「なっ…」 驚愕に目を見開いて、佐知子は絶句した。
「うん、それがいい。あいつらなら、安心して任せられる」
「い、いやよっ、そんなこと、馬鹿なこと言わないで、達也くんっ」
「どうして?」
「ど、どうしてって…」
「“中学生だから”とか、“息子の同級生だから”なんてことは。まさか、言わないよね?」
「なっ……それ、は……でもっ」
「大丈夫だよ。連中も、それなりに場数はふんでるし。特に高本なんて、パワーは僕以上だからね。きっと佐知子も満足できるさ」
「そんなことを言ってるんじゃ」
「じゃあ、命令ってことにしようか。主人から奴隷への命令」
いい加減、面倒くさくなってきたとばかりに、達也は言い放った。
「奴隷は、なんでもするんでしょ?」
「ち、違う、それは達也くんにだけよっ、他のひととなんて」
「ま、好きにするさ」 突き放すように、達也は言って、
「でも僕も命令した以上はね。それが果たされるまでは佐知子を呼ぶこともないだろうよ」
「あぁ、そんな……そんなのって…」 佐知子の嘆きの声に絶望が滲む。
話は終わったというふうに、達也はソファに深く背を沈めた。
フッと、冷笑を刻んで、もうひとつだけ付け加える。
「まあ、そう言わなくても。時間が経てば、佐知子の考えも変わると思うけどね」
そう言って。それで本当に口を噤み、目も閉じて。瞑想するような態勢に入ってしまう。
「…あぁ……」 佐知子が、悲痛な声を洩らした。
蒼白な面で達也を仰ぎ見て、涙に濡れた眼に浮べた哀願の色は虚しく。
達也の膝にしがみついた腕も、力を失っている。
悲嘆と絶望にすすり泣きながら、
「……できない……できないわぁ……」 無力な呟きを、いつまでも繰り返していた。
◆◆◆
……この数日、母の帰宅が早い。
以前と変わらぬ時間に帰ってくる。夕食も、相変わらず手抜きな内容ではあっても、用意してくれる。
……どういうことだろう? と、裕樹は考える。ひどく慎重に思いを巡らせる。
久しぶりに母と共にする時間を、素直に喜ぶという心境にはなかった。
実際、喜ぶべき団欒などないのだ。母は早い時間から家にいる。それだけだった。
出来合いの惣菜を並べた食卓。ほとんど会話もない。笑顔もなかった。
そして食事が終われば佐知子はすぐに自室にこもって。入浴以外には出てこないのだった。
裕樹と顔を合わせる僅かな時間の中では、佐知子は、いつも暗い表情で鬱々と考えこんでいる。なにか深い懊悩にとらわれて、それを裕樹に隠そうともしていなかった。
冷めたおかずをつつきながら、そんな母の様子を裕樹は眺めた。
その眼色は、案ずるというには陰気に過ぎた。観察する眼だった。
「ママ。シフト、もとに戻ったの?」 三日目の夜に、裕樹は訊いた。
もともと、佐知子の帰宅が遅くなったのは、人手不足による勤務シフトの変更のため…だったはずだから。それが旧に復したのかと尋ねたのだ。
ここまで、佐知子からは一言の説明もなかったのである。
「…えっ? ……え…ええ…」
思索を破られた佐知子は、一瞬なにを訊かれたのかと考える様子を見せて、それから、曖昧にうなずいた。
「……また、変わるかも…しれないけど…」
どこか切なげな口調で付け足す。そうなることを願うような。
ふーん、とだけ裕樹は返して。それで話を打ち切った。
……食事が終わり、佐知子が立ち去ってからも、ひとり残って。
どういうことだろう? と、裕樹は考える。
この変化を、どう受け止めるべきだろうか? と。
その思考は、裕樹にとっては、危うい、忌避すべき方向のものであったはずだ。
裕樹の“現実”においては、佐知子の短い説明だけで納得すべきところだから。
張り巡らせた防壁は、磨り減って、薄く低くなっている。
裕樹は、まだそれを自ら打ち壊そうとはしないが。
ひび割れた隙間から、そっと外の気配をうかがう。いまは、そうすべきだと急き立てるものが、裕樹の中に生じていた。
……奴等の“作り話”に、照らし合わせるなら、と。
なおも周到に前置きした上で、裕樹は思考を進める。
頭を悩ますまでもなく、ひとつの仮定に行き着く。
早くなった帰宅。陰鬱な顔で思い悩み、朝には泣き腫らした眼をしている母。
「……ママは、達也に、捨てられた」
声に出して呟いた。“別れた”ではなく“捨てられた”と。その方が、的確だろうと思えたから。
だが、そう言葉にした時に胸にこみ上げたのが、屈辱の感情であったことに裕樹は当惑した。自分の貴重に思っているものを貶められた怒りだ。
あんなに綺麗で優しいママを捨てるなんて……と。
それは、あまりに馬鹿げた感情に思えた。自分の心の動きとして認めがたがったので。
それも、馬鹿げた前提に立って考えてしまったからか……と、裕樹は防壁の内へ逃げこむことで、思考を中断した。
ひとまずは。
ひとまずは、己の“現実”の中へと逃れて。
しかし、やがて裕樹は、また考える。
静かな食卓で、ひとりの部屋で、教室で。
観察し、思索し、そして乱れ騒ぐ自分の心が扱いきれなくなれば、緊急避難をする。そんなサイクルを繰り返す。
母は、日ごとに懊悩と憔悴を濃くしていった。
自分の推測への確信を深めながら、裕樹はなおも慎重に断定を避けた。
もっと情報が欲しかったが、佐知子が早く帰るようになってからは、高本も市村も近づいてこない。
あるいはそれも、母と達也の関係が終わったことを告げるものかもしれないと、裕樹は考える。連中は、もう“作り話”のネタを仕入れることが出来なくなったのだ。
「……違うな。飽きただけか」
達也が母に飽きたように、市村らも自分を嬲ることに飽きて。
用済みのオモチャとして、自分たち母子を放り投げたというのが妥当なところだろうと考えて。
こみ上げる憤怒を、裕樹は抑える。それは先走った感情だと。
まだ決めつけるのは早い。この変化が一時的なものでないという保証はない。
喜ぶのは、まだ……
「……喜ぶ…?」 裕樹は、自分に聞き返した。
当然それでいいはずだ。とにかくも母と達也の忌まわしい結びつきが消滅することは、歓迎すべき推移であるはずだった。
実際に、喜びと呼んでいい感情が裕樹の胸にわいている。だが、それは純粋なものではなくて、どこか後ろ暗い快味だった。
いい気味だ、と。
心の底で感じてしまっている自分に裕樹は気づいた。
自覚したドス黒い感情に、裕樹は驚き、すぐにそれを否定しようとした。
そんなふうに思うのは間違っている。
ママは、達也に騙されただけだ。人がいいから、優しいから、つけこまれてしまったのだ。ママも被害者なんだ……
自分に言い聞かせながら、それをせせら笑う声を裕樹は聴いた。
嘲笑は、宇崎達也とも市村とも、あるいは裕樹自身の声にも聞こえた。
自分の声を聞き分けて、それが、いまの裕樹には限界だった。
それ以上、自分の心裡に踏みこむことは出来ない。母に対する感情の変容を認めることは出来ないから、裕樹はまた立ちすくむしかない。
足を止めて、目を逸らして。それでも、きりもなく繰り返す堂々めぐりの無意味さには気づいてしまって。
「……僕は…どうしたいんだ…?」
倦み疲れた裕樹の口から、そんな自問が零れ出た。
自分は、どうしたいのか、どうすればいいのか、と。
この悪い夢のような状況に陥ってから初めて、実際的な思索を意識に上らせたのだった。
このまま、達也が完全に母から離れていったとして。その時に、自分はどう行動するのか? まるで別人のような弱々しさをさらして、なかなか立ち直る兆しを見せない、それどころか日に日にやつれはてていくようすの母に、どのように対するのか?
……すべてをブチまけるというのは、どうだろうか? いまこそ。
なにもかも知っていることを母に告げて。鬱積した思いを叩きつけて。
そして……“やり直そう”と、母に言うのだ。“僕は、ママを赦すから”と。
うっとりと、裕樹はその光景を夢想した。
“ごめんね、ごめんね、裕樹”と、涙に咽びながら何度も詫びるママ。
その体を抱きとめて、優しく背を撫でながら、“もういいんだよ、ママ”と……。
憧れるように、裕樹はそんな場面を思い描いて。
それだけだ。実行に移そうとは思わない。
ひとつ間違えれば、完全に母との関係を壊してしまう行動だ。
それは、裕樹には背負えるリスクではなかった。
「……結局、僕は」
どうあってもママを失いたくないんだな、と。いまさらながらに確認して。
そうであれば、とるべき道は自ずと定まる。
なにも知らないふりを押し通すことだ。
これまでと変わらずに…ではない。もう裕樹は、自分を欺くことに、その無意味さに疲れてしまったから。
事実を受け容れて……受け容れたことを認めて。その上で平静を装うのだ。
時間がママの傷を癒してくれるのを見守って。時には、さりげない慰めや励ましを送る。
「…僕が、ママを支える……」
言うほど簡単なことではないだろう。いまは疲れ麻痺してしまった心だが、また死ぬほどの苦しみを何度となく味わうことになるだろう。
吐き出されぬまま胸の奥底にわだかまった黒いモノも鎮め昇華しなければならないだろう。
それでも。母との平穏で心通い合った生活を取り戻すためには、その道を進むしかないのだと思い定めて、
「……僕が、ママを守る…」 裕樹は、呪文のように呟いた言葉の甘美な響きにすがった。
……長い彷徨の果て、迂遠な臆病な思索の末に。とにかくも裕樹は見つけたのだ。
この闇に閉ざされた迷宮からの出口を。ひとりの力で。
それは強いられた苦いものではあっても、成長と称すべき変貌であったはずだが。
しかし。
苦い満足を伴った裕樹の悲壮な決意は、覚悟していたような試練を受けることもなく潰えることになる。
ようやく辿り着いた出口の向こうには、より深い奈落が口を開けて待っていたということだった。
-28-
状況が変わってから、ちょうど一週間目の放課後。
裕樹は、久しぶりに高本と市村からの呼び出しを受けた。
例の校舎裏へと、裕樹を連れ出して。
「ママさん、元気か?越野」
口火を切ったのは高本だった。最近のこの“会合”では、喋るのは市村に任せて聞き役にまわっていることが多かったのだが。
今日は、何故だか、やけに張り切っている。
「泣いてる? 悲しんでる?」
「………………」
いやらしい笑いを浮かべた高本の顔を、裕樹は無言で睨みかえした。
ついに、自分の中では事実を受け入れても。それを他人に明かす気はない。
この連中に付き合うのも、これが最後だと思って、裕樹は耐える。
最後に、こいつらは、母が達也に捨てられたことを嘲笑って。
自分は、それを聞くことで、母が解放されたことを確認して。
それで終わりだ。それきり、市村とも高本とも達也とも、完全に縁を切って。
そして、自分と母はやり直すのだと。
その思いで、裕樹は、この場に立っていたのだったが。
「越野もさあ、愛しいママが悲しみにくれてるとこ、いつまでも見ていたくないだろう?」
思わせぶりに。高本は奇妙なことを言い出した。
「だったらおまえからも説得してくんない?佐知子に。いいかげんにハラをくくれってさ」
「………………」 …なにを? と、つい訝しむ表情を覗かせてしまった裕樹に、
「……まあ、越野も察しはついてると思うけど」 市村が口を開いた。
「達也は、もう佐知子に飽きちゃってさ。別れるって言ったんだと」
「………………」
「いきなりだったんで、佐知子のほうは驚いてさ。絶対イヤだって泣いてすがったって」
「もうタイヘンだったらしいぜ。いい年こいたオバサンが、ビービー泣き喚いて“捨てないでぇ”ってさ。みっともねえよなあ」
「………………」 ギュッと両の掌に爪を食いこませて、裕樹は恥辱に耐えた。
言わせておけ。これが最後だ。これが…
「達也も持て余してさ。それじゃあってんで、条件を出した」
しかし、市村は“その先”へと話を進めたのだった。
「今後、セックスの管理を、俺と高本に任せること。それが条件」
「…え……?」
「まわりくどいのよ、市やんは。要するに。これからは宇崎クンの代わりにオレたちが、佐知子の発情マ○コの面倒をみてやるっつーことよ」
「なっ…!?」 予想だにしなかった成り行きに、裕樹は露わな反応を示してしまう。
ひとりの女を共有するなどとは、裕樹の幼い常識の埒外だったので。
「まあ、オレもねえ……あんまり気はすすまないんだけど」
高本は、わざとらしく眉を寄せて、
「いくら、美人でいいカラダしてるったってさあ、母親くらいの年の女だろう?」
「しかも、あの達也が持て余すくらいのスキモノらしいしな」
「ブルブル……脅かすなよう。確か、宇崎クンに拾われるまでは、実の息子のチ○コ咥えこんでたってんだろ?」
「ああ。でもそっちは二度としないって誓たらしいけど。どうせ満足できないんだしって」
「アチャチャ…イカンですな、そんな色情狂を野放しにしとくと、社会の風紀が乱れます。ここはね、私もボランティアの精神で、その淫乱ママンの面倒をみましょう」
「ご立派」 好き勝手なことをほざいて。
「越野からも、よくお願いしといたら? ママを頼むって」
市村は、いまだショックのさめぬ裕樹に言った。
「な……」
「ああ、心配はいらんよ、越野クン。ボクチンにドーンと任せておきたまい」
「そっ…」 言葉が出ないふうな裕樹を、市村は笑って、
「…まあ、佐知子は拒んだんだけどな。取り合えずは」
「あ…」 当たり前だろう! と、叫びたいのを、裕樹は懸命に堪えた。
落ち着け、落ち着けと、自分に言い聞かせる。
連中の無軌道ぶりなど、いまさらなことだ。
むしろ、そんな無茶な条件が、ママと達也の断絶を決定的なものとしたに違いない。
ママの…過ちは、達也に誑かされてのことだから。
高本や市村に体を許すことを、諾うはずがないのだ。
「けど、いくら佐知子が、それだけは出来ないって泣いたってさ」
めまぐるしい思考をうかがわせる裕樹の表情を、面白そうに眺めながら、市村は続けた。
「達也が、一度言ったことを引っこめるわけがない。どうしても従えないなら、それまでよって話。気が変わったら連絡しろと言って、放り出した」
「……………」
「思い直して、俺たちに股ひらくか。すっぱり、達也を諦めるか。佐知子に択べる道は、ふたつしかないわけだが…」
どう思う? と、市村は訊いた。
「佐知子は、どっちを択ぶと思う?」 と、市村は裕樹に訊いたのだが。
「決まってんじゃん、そんなの」 自信満々に答えたのは高本だった。
「宇崎クンに捨てられるとか以前にさ、そんな淫乱ママが、いつまでもチ○ポなしでいられるわけないじゃん」
「…まあな。俺も、賭けるならそっちだけど」
「鉄板だよ、そんなの……ん?」
威勢のいい言葉を途中で切って、高本はズボンのポケットを押さえた。
「なんだよ、またかあ?」
呆れたような声を上げながらも、妙に嬉しそうに。取り出した携帯電話を開いて、画面に目を向ける。
「……ブフフ、こりゃ、いよいよオッズ下がっちゃうなあ。元返しかも」
「なんて?」 手渡された携帯の画面を、市村も確認して、
「……ふうん。ずいぶん軟化したな」
「時間の問題っしょ」 意味不明のやりとりの後に、市村は裕樹に視線を戻した。
「本当は達也のケータイなんだ。これ」
いまだ要領を得ないまま、しかし不安の色を濃くする裕樹に説明した。
慣れた手つきで、達也のものだという携帯を操りながら、
「電話はウザイから、言いたいことはメールで送れって。最後に会った時にそう言ったんだと。そしたら…」
「タイヘンなんすから、もう。昨日は、十回は来たよなあ?」
「昨日は十二通。今日は、これが四通目。一週間で都合四十一通」
細かに数え上げて。市村は裕樹に携帯を差し出した。
「ヤバイよねえ、ほとんどストーカーだよな」
「つっても、達也が目を通したのは、最初の二、三通だけだけどな」
ふざけた会話を聞きながら、裕樹は受け取った携帯に視線を落とした。
クリアーな画面に一通のメールが表示されていた。日付は一週間前。
文面は。本当に達也を愛している、達也なしでは生きていけない、どうか考え直してほしい、といった意味にことが、やや乱れた文章で制限字数いっぱいを使って書かれてあった。
「最初のうちは、そんな感じ」 裕樹の眼の動きを追いながら、市村が解説する。
「捨てられかけた女の切々たる心情を訴える、ってとこだな」
「泣かせるよなあ」 そう言いながら、高本が笑う。
裕樹は次のメールを開いた。日付は同日、数時間後。
内容に大差はなかった。愛してる。捨てないで。
でも、どうしても達也以外の男に抱かれることはできない、それだけは赦してほしい、と。
「ま、最初の二、三日は、そんな感じで。回数も、日に三通とかだったんだが」
いいタイミングで入る市村の補足を聞きながら、裕樹はさらに読み進んでいった。
これを、手のこんだイタズラだと疑う気持ちは、わかなかった。
小さな画面に映る無機質な文字の並びから、送信者の必死な心情が伝わってきたから。市村の揶揄も高本の評価も正しかった。
それは悲しくて滑稽な通信の記録だった。
「ところが、達也からは一向に音沙汰がない」
「そら、そうだ。邪魔くさがって、オレたちにケータイ押しつけちゃったんだから」
「佐知子は、そうとは知らない。なんとか達也の気を引こうとしてか、それとも、いよいよテンパっちゃったのか…」
その変化のさまを、すでに裕樹は眼で確認しはじめている。
四日目あたりから、メールの間隔が短くなり回数が増えた。
文面に、淫らがましい言葉が混じりはじめる。市村の言うとおり、どうにかして達也の気を惹きつけようとしたのだろう。
それは徐々にエスカレートしていった。
「ヘヘ、“オマ○コ寂しくて、眠れない”だっけ?」
高本があげつらった通りの言葉があった。
「“達也くんのオチンチンが恋しい”ってのも、あったか」 それもあった。
どんどん卑猥に直截的になって。ほとんどイタズラかエロ・サイトの広告のようになっていくメールを、裕樹は丁寧にすべて読んでいった。
こんな文章を。それでも、真剣な思いつめた表情で打ちこんでいたのだろう母の姿を思い描きながら。
そもそも、母が携帯を所持していたことさえ、裕樹は知らなかった。
母は、その年代の女性にはありがちなことだが、機械全般が苦手で。
また、やや古風な美意識もあって、世のモバイル全盛の状況にも否定的だった。
おかげで裕樹も、携帯を買ってもらうまでには、かなり苦労したし。
ようやく許された時にも、マナー違反の通話はもちろん、人中でメールを打つ行為も、あまり見た目のいいものではないから控えるようにと釘を刺されたものである。
……すべて“以前の”母の話だが。
無論、携帯電話は、達也との連絡のために購入したのだろう。
であれば、それまでの反発とは一転して。その小さな機器は、佐知子にとって、大切な嬉しいツールであったはずだ。
裕樹ですら告げられていなかったのだから、電話番号は、達也にしか教えていなかったに違いない。
だが、それは佐知子が期待していたような用途には長くは使われずに。
佐知子は、甘い言葉を交わすつもりで手に入れた電話機を哀切な心情と未練を伝えるために使うはめになった。
まだ不慣れなはずの機器、操作方法を必死に覚えたのだろう。
そして、達也へと(佐知子は、そう信じて)メールを送り続けたのだ。
昼となく夜となく。勤務中の病院から、引き篭もった夜の自室から。
(……そういうこと…か…)
裕樹は胸中に呟いた。
裕樹が、ひとり暗い闇の中に迷いながら、母を赦し、共にやり直すすべを模索していた長い時間に。
母は、悔い改めようという意思など少しも持たずに。
ひたすら、達也のもとへ戻ることだけを望んで、こんなものを送り続けていたわけだ。
“達也くんの逞いオチンチンが欲しい”と“佐知子のエッチなオマ○コが泣いている”と。
(……馬鹿だな、ママは…)
いくら、そんなふうに媚びてみたって。達也は読んじゃいないのに。
メールを受けるのは市村と高本で、奴等はそれを読んで、ママの必死さを笑っているだけなのに。
裕樹は、笑いもせず、怒りもせずに。ひとつひとつ、機械的な丹念さで読み進んで。
四十通まで読み終えて。
最後の一通、いましがた届いたばかりのメールを開いた。
「………っ」 裕樹は、瞠目した。携帯を持った手に力がこもる。
四十一通目は、ほんの一文だけの短いメールだった。
露骨な卑語はなかった。愛だの好きだのと恥ずかしい言葉も。
三度、その全文を読み返して。
間違えようのない文意を、ようやく肺腑に落とした時、裕樹の世界からは、数瞬、色と音が消えうせた。
小さな画面に浮き上がった文字だけ、『本当に』という言葉からはじまる短い文章だけが、眼に迫ってくる。
『本当に達也くんの言うとおりにすれば、また会ってくれますか』
「………ウ…アアアアアッ!」 悲鳴のような叫びを迸らせて。
裕樹は手にした電話機を、地面へと叩きつけた。
赤いボディーの携帯フォンが、湿った土の上に弾み、
「なにしやがるっ」 当然の代償として、裕樹は叩きのめされた。
さらに蹴りかかろうとする高本を、市村が止める。
「やめとけって」
体を入れた市村の肩ごしに裕樹を睨みつけて。それでも存外素直に高本は矛先をおさめた。
「…ったく、もう。壊れてねえだろうなあ」 転がった携帯を拾い上げて、点検する。
「……………」
地べたに尻を落としたまま、裕樹は口の端に滲んだ血を乱暴に拭った。痛みに表情が歪む。
「ゴマカシも限界か」 傍らから見下ろした市村が、嘲るように憐れむように言った。
「……………」
裕樹は無言で睨みかえした。無感情を装うことは捨てて、その眼には憤怒と憎悪が燃え立っている。
平然とその視線を受け止めて。市村は薄ら笑いを浮べて、
「越野、おまえさあ…」 ゆっくりとしゃがみこんで、裕樹と目線を合わせた。
「なにもかも、俺たちが悪いことにしたいようだけどさ。それは、どうよ?」
「……………」
「ま、実際、達也なんてヤツは、悪魔っていえば悪魔、化け物っていえば化け物だし。その手下の俺たちも、ロクなもんじゃないけど」
悪びれもせずに、そう言い放って。
けどな、と市村は続けた。
「達也は、佐知子を無理やり犯したわけじゃないぞ。弱み握って脅したんでもない。ただ口説いただけだ。ツラがよくて口が上手い、若い男に口説かれて、その気になって。自分から股開いたんだぞ、おまえのママは」
「騙したんじゃないかっ」 胸を抉る言葉をふり払うように、裕樹はきめつけたが。
「それ、恥ずかしくない?」 返ってくるのは、嘲笑だった。
「いい年の母親が、息子と同じ年の中学生にさ。騙された、タラシこまれたって」
聞きたくないといったふうに、裕樹は大きく頭をふって、
「もう、ママに近づくなっ」
いまは唯一の、その願いを叫んだ。ああ何故もっと早く、そう言えなかったのか…と、いまさらな悔いを噛みしめながら。
しかし、決死の覚悟で吐き出された思いも、
「達也はもう、そうしてる。すがりついてるのは、おまえのママのほうだってのは……いま確認したんじゃなかったっけか」
「……っ」 いとも容易く跳ね返される。無慈悲な現実に。
「俺たちだって、こっちから押しかけるようなことはしないよ。佐知子のほうから頼んできたら、相手をしてやるかって。そんなとこ」
「……ママに…近づくな……」
「だから。それを言うなら、ママに言えよ」
とどめを刺すように、そう言って。市村は立ち上がる。
高本にふり向いて、どう? と訊いた。
「うん、大丈夫みたい」
念入りに異常がないことを確認した電話機をしまいながら、高本は答えて。
また、へたりこんだまま項垂れている裕樹を睨みつけた。
「…ったく。逆ギレしやがってよ」
「……“逆”か? 微妙なとこだな…」
もう、俯いたまま反論もしない裕樹の代わりに、市村が疑問を呈した。
「この電話が通じなくなったら、困るのは佐知子なんだぞっ」
「まあまあ、もういいだろ」 宥められ、行こうぜと促されて。
踵をかえした瞬間、高本は裕樹のことなど忘れさったように、
「ね、佐知子もだいぶ崩れてきたし。そろそろ、直接交渉はじめてもいいんじゃん?」
「そうだな」
「オレさ、チ○ポの写真、送ってやろうと思って。ビンビンにおっ立ったとこ。絶対効くよ、これ」
「効くかもしれんが……俺が撮るんだよな? それ」
「なーに言ってんの。オレと市やんの仲で。いまさら」
「……まあ、メシ食ってからにしようぜ」
「よーし、精のつくもん食ってな。全開バリバリのエレクチオンをお見せしちゃうよ、オレは。淫乱ママンがヨダレたらして、一発KOされるようなヤツ」
「わかったから」
やかましく騒ぎたてながら、ふたりは去っていった。
その姿が消え、声も聞こえなくなっても。まだ、裕樹は座りこんでいた。
空しく終わった激発の反動か、グッタリと虚脱したていで。
うずくまったまま、動こうとはしなかった。
家に帰り着くと、玄関に母の靴があった。
少し遅くなったとはいえ、そんな時間でもないのにと、不審に思いながら上がる。これまた意外なことに、居間に母の姿があった。
母は普段着のままで、どうやら今日は仕事は休みだったようだ。
もともと不規則な母の休日を、裕樹は最近は全く把握していなかったのだ。
ボンヤリとソファに座っていた佐知子は、声もかけず入ってきた
裕樹の気配に遅れて気づくと、ビクリとしたふうに振り返った。
「あ……おかえりなさい…」
「……ただいま」 そんな当たり前のやりとりも、久しぶりだったが。裕樹には、
特別な感慨もわかなかった。
そのまま佇んだ裕樹を、戸惑うように見やって。腫れた口許と、こびりついた血に眼を止めた佐知子は、
「どうしたの? その傷」 眉を顰めて、そう訊いた。
「高本に殴られた」 裕樹は、正直に答えた。
裕樹が口にした名前に、佐知子はギクッと反応して。また困惑する表情を見せた。
「……大丈夫?」
「別に。たいしたことないよ」
そんな簡単な応答で納得してしまう。理由すら訊かず、そばに呼んで、傷を診るでもない。
……そんなことを期待していたのか? と、裕樹は自問した。
慌てて駆け寄り、優しく手当をして。自分への慰撫と、高本への怒りの言葉を聞かせてもらえるとでも。
自分の心を笑いたくなって、笑うことも虚しく感じて。
裕樹は、黙って立ち去ろうとしたのだが。
その時、裕樹からが隠すようにした母の手に持たれた、携帯電話を見つけたのだった。
カッと血が昇って、体が勝手に動いていた。
足早にソファへと近づいた裕樹は、横から圧し掛かるようにして、佐知子が向こう側の手に持った携帯を掴んだ。
「な、なにっ?裕樹」
突然の裕樹の行動に驚きながら、佐知子は反射的に抗う。
奪おうとする裕樹と、やるまいとする佐知子。ひとつの電話機を争って、母子はソファの上で揉み合いとなった。
「やめなさい、裕樹、なんなのっ?急に」
苛立つ声を上げて、強く身体を捻った佐知子の肘に、裕樹の軽い体は跳ね除けられて、たたらを踏むように後退する。
重なっていたふたりの体が離れ、争闘は止んだ。
「なにするのっ? いきなり、こんな、」
いまだ裕樹の意図が掴めぬまま、佐知子は厳しい声で糾したが。
裕樹は、母の困惑と怒りを浮べた顔ではなく、両手で胸に抱きしめた携帯電話を睨みつけた。その姿、今しがたの必死の抗いからも佐知子が、どれほどその小さな通信機器を大事に思っているかが解った。
それは命綱なのだ、佐知子にとっては。自分と達也とを繋ぐ最後の糸だと佐知子は信じていて……。
裕樹の脳裏に、市村に見せられた四十一通のメール文が蘇った。
見栄も恥もなく息子と同じ年の中学生に取りすがり、気を惹こうと卑猥な言葉を散りばめた、その内容を思い出せば、
「……また」 衝き上げる激情を、裕樹はもう抑えようとはしなかった。
「また、達也にメールを送ってたのかよっ!?」
「……え…?」 佐知子の瞳が驚愕に見開かれて。その面から血の気が引いた。
「ゆ、裕樹……あなた…?」
「知ってるよ、全部知ってるんだよっ」
「そん、な……どうして…?」
「市村たちから聞いてたんだよ、ずっと前から知ってたんだっ」
知っていたこと、それを事実と認めたことを、市村らに明かし、いま母にも告げる。先夜固めたばかりの決意を裏切る結果になったが。
しかし、そこには、紛れもない解放の喜びがあって、
「どうして、だって?ママ、隠そうとしてたのかよ!あれで、僕に隠そうとしてたって言えるの!?」
堰を切って溢れ出す感情を、激しい言葉にして、裕樹はぶつけた。
蒼白となった母が、脅えるような眼で見ている。衝撃を露わにした
その表情が、裕樹には心地よかった。自分に知られていたことにショックを受けているママが、嬉しかった。
そう、意想外の成り行きではあっても。これは、ひとつの理想として思い描いたかたちではなかったか。すべてを吐き出して、ぶつけて。
そうすることで母の迷妄を払い、自分の恨みや苦しみを清算してしまって。
ママを取り返すのだ、ふたりでやり直すのだと。
そんな思いに力を得て、裕樹は言葉を続ける。
「メールも読んだよ、全部読んだ。いやらしいことばっかり、あんなこと書いて恥ずかしくないのっ」
「どうしてっ?メールを…」 裕樹が読むことになるのかと、愕然とする佐知子。
「市村に見せられたんだよ」
完全に母の目を覚ますための暴露。しかし、そんな意図の裏で、暗い嗜虐的な快味を確かに感じている。
「送り先の携帯は、市村と高本が持ってるんだよ。達也は読んでない、ママのメールは、ただ市村たちに笑いものにされてるだけなんだよっ」
それは復仇を果たすことの喜悦だった。だから、
「ああっ、そんな」 佐知子が絶望の声を上げたのは、裕樹の思惑通りとも言えたが、
「ひどい、達也くん、どうしてっ」
ボロボロと涙をこぼして、それでも佐知子は達也の名を呼ぶのだった。
裕樹にすべてを知られていたと聞いた時よりも、深い衝撃を受けているのは明白だった。それが、裕樹の胸から暗い喜びを掻き消して、
「まだ、そんなことを言うのっ!?」 憤怒と苛立ちに身悶えながら、裕樹は叫んだ。
「ママは騙されてただけなんだよ。達也はママを弄んだだけなんだ。いいかげんに、目を覚まし…」
「わかってるわよっ!」
哀願するような訴えを遮って、佐知子がヒステリックな喚きを張り上げた。
「そんなこと、言われなくたって、わかってるのよ……でも、でも、ダメなのッ、達也くんが好きなの、好きなのよっ、どうしよもないの」
握りしめていた携帯を膝に落とし、両手で顔を覆って、号泣しはじめる。
「……なんだよ…これ…」
裕樹は、泣きじゃくる母の姿を茫然と眺めて、震える声で呟いた。
こんな……展開を思い描いていたのじゃない。すべてをママにブチまけた後に。
佐知子は、まだ一言の謝罪も口にせず。恥じ入るそぶりすら見せずに。
裕樹に事実を知られていたことより、達也の無情さにショックを受けて。
泣いているのも、達也のためだ。弄ばれていたことも解ったうえで、それでも達也が恋しいと泣いているのだ。
「なんだよ、これはっ」 もう一度、今度は苛烈な怒りをこめた声で吐き捨てた。
泣き続ける母へと詰め寄ったのは、なにか考えがあっての行動ではなかった。
とにかく、この癇に障る泣き声を止めたかっただけだ。
「やめろよっ」
肩を掴んで揺さぶった。佐知子は顔を隠したまま、大きく体をふって、裕樹の手を払いのけようとする。
その過剰な反応に掻きたてられた怒りと。掌に感じた熱い体温と、久しぶりに嗅ぐ母の体臭が、裕樹の中に凶暴な衝動を生んだ。
無理やりに、佐知子の体を引き起こして、ソファの上に押し倒した。
……母の不貞への疑いは、裕樹の青い欲望に鍵をかけていた。
母に対して、以前のように単純な欲望を抱くことは出来なかったし。
心の鬱屈に押し潰されて、欲求そのものが鳴りをひそめていた部分がある。
しかし今、かつてないほどの凄まじい昂ぶりが裕樹を襲っていた。
「いやっ、やめなさい、裕樹、やめてッ」
必死に抗う佐知子の体にしがみついて、裕樹は服の上から豊満な胸乳を掴みしめた。ブラウスと下着越しにも、懐かしい柔らかな感触が伝わってきた。
この乳房を達也にも与えたのかと思えば、激しい怒りと嫉妬がわいて。
それが裕樹の昂奮をより狂おしいものにした。
痛いほどに屹立した股間を、佐知子の太腿に擦りつけた。それだけで目も眩むような快感が突き抜けて、あやうく果てそうになってしまう。
「いやぁっ」
佐知子の声に滲んだのは、本気の嫌悪だった。懸命に腰をずらして、裕樹との接触を避けようとする。
その絶対的な拒絶は、貞操を守ろうとするものだ。達也との誓約を守ろうとして、かつては身体を重ねていた息子の求めを、本気で拒んでいるのだ。
「ちくしょうっ」 裕樹にも、その母の心は伝わって、悔しげな泣くような声を洩らす。
ならば、それならば犯してやる、と。
はじめて獰猛な獣性を母へと向けるが。
しかし、いくら欲望は猛っても、裕樹にはまだ本気で抗う佐知子を押しひしぐ力はなかった。死に物狂いで暴れる佐知子を扱いきれずに、息は上がって、もう跳ね除けられないようにしがみついているのがやっとだった。
裕樹が思いを果たすには、佐知子の側が諦めて受け容れてくれるのを待つしかなかった。
「なんだよっ!?」 裕樹もそれを悟って、
「達也にはさせても、僕とはしてくれないのかよっ」
上擦った叫びには、縋るような感情がこめられていたのだが。
しかし、悲しい訴えも佐知子の意志を溶かすことはなく。逆に佐知子は、叫んだ瞬間の隙をついて、体の間に挟まれていた腕を抜き出し、躊躇なく裕樹の頬を叩いた。
「アッ!?」
パンと高い音が鳴って、裕樹は打たれた頬を押さえて、思わず仰け反る。
佐知子は、その胸を強く押しやって、ついに裕樹の下から脱出する。
床に落ちた携帯だけはしっかりと拾い上げて、後は脱兎のごとくという勢いでリヴィングから走り去ってしまった。
裕樹は呆然と、それを見送った。ソファの上、佐知子に押しのけられた体勢のまま頬を押さえて。
廊下の奥、バタンと母の寝室のドアが閉ざされる音が聞こえた。
まだ、裕樹は動けず。表情さえ驚きに固めたまま。
「……ぶたれた…」 ようやく、ポツリと呟いた。
これまで、裕樹を厳しく叱ることはあっても、決して手を上げることはなかった母に。
はじめて、ぶたれた。
はじめて、裕樹を叩いたママの、その理由は。
ママを騙して弄んで、さらに貶めようと企んでいる宇崎達也への忠誠を守るためだった。
「……なんだよ…」 虚ろな声を、裕樹は洩らした。
猛り狂っていた獣性は、一撃で霧散してしまっていた。股間もあの暴発寸前の漲りが嘘のように鎮まっていた。
「…なんだよぅ……」 繰り返すと、涙声になった。
悔しさと惨めさに、裕樹は泣いた。
暗くなりはじめたリヴィングで、幼い迷い子のように弱く頼りない、すすり泣きの声を響かせた。
-29-
「どうよ、越野。ママさん、説得してくれたのかよ?」
翌日、登校するなり裕樹の席へとやってきて、高本が訊いた。
「………………」 裕樹は、なにも答えず、静かな顔で見かえすだけだったが。
高本は勝手に言葉を続ける。
「昨日からさあ、直接交渉ってのを開始したんだけど。さすがに、すんなりOKってわけにゃいかなかったんだなあ」
……あの後か、と裕樹は推量した。
リヴィングでの騒ぎのあと、母は部屋から出てこなかった。
裕樹もじきに、泣くことに飽きて、自室にこもった。夕食もとらず風呂にも入らずに、そのまま寝てしまった。
不思議だが、グッスリと眠れた。久しく遠ざかっていた長く深い眠りを貪って。今朝はスッキリと目が覚めた。
体が軽くなったと感じる。長い間、胸にわだかまって重苦しいものが消えていたから。
むしろ軽すぎるくらいだ。胸の中も頭の中も、空っぽな感じ。
「それじゃあってんで、オレの逸物の写真、メールで送りつけてやったんだけど」
教室だと言うことも構わずに、高本はそんなことを言い出す。一応、声は抑えてるつもりらしいが。
チラリと、裕樹は周囲をうかがった。
裕樹の席にはりついた高本と、その後ろに立った市村以外は、近くにいなかった。
みんな、遠巻きに眺めているふうだ。
(……すっかり、こいつらの仲間だと思われてるみたいだな)
うんざりした。
「そりゃあ、宇崎クン並とは言わねえけどさ。それなりに自信はあんだけど。ビンビンにおっ立てた、イキのいいところを写して送ってやったのよ」
……よくやるよ、と裕樹は内心に毒づいた。
「チ○ポに飢えてる佐知子のことだからさあ、これでバッチリ落ちるかと思ったんだけど。それきり音沙汰ねえのよ。こっちから電話しても出ないしさあ」
高本は、アテが外れたといったようすで、
「なあ、ママ、どんな感じだった? 写真、全然効いてねえのかな?」
「知らないよ」
素っ気なく裕樹は答えた。そんなやりとりは母が引き篭もった寝室の中で行われていたことで。裕樹は昨夜も今朝も、母と顔も合わせていないのだからそうとしか答えようがない。
しかし、にべもないような返答とはいえ、会話を成立させたのだ。
敏感にその変化を気取った市村が、おや、といった顔で裕樹を見やった。
裕樹は、その視線に気づいたが、頑なに顔を背けていた。
「……いや、効いてないわけがねえや。いくら、宇崎クンに惚れてたって、サカリのついちまった淫乱ママが、いつまでもチ○ポなしでいられるはずがねえ」
ウンウンと、高本は自分の言葉にうなずいて、
「よし、今日も送りつけてやっからな。そうやってりゃ、じきに向こうのほうから“そのチ○ポ、ハメて”ってお願いしてくるにきまってら」
「………………」 裕樹は、なにも言わなかった。
生まれた時から住んでいる家が、他人の家みたいに目に映る。
おかしな話だな、と思いながら、裕樹は鍵を開けた。
家の中は、何℃か気温が低いように感じられた。そんなはずはないのだが。
通りがかりに目を向けて、リヴィングの乱れに気づいた。
ソファとテーブルがズレて、クッションが下に落ちている。
裕樹は、それらを直した。昨日の痕跡を消し、キッチリと整った状態に戻して。
ウンと、満足したようにうなずいて、自室へと上がった。
着替えを済ませて階下に戻ると、時間は早かったが、ひとり夕食をとった。
帰宅途中に買ったコンビニ弁当。
味気ない、空腹を満たすだけの食事を、さっさと終えて。
しかし裕樹は、そのままキッチンに居座る。
ふと思い立って…というのは、普段はそんな習慣はなかったからだが、食後のコーヒーを淹れてみた。
あまり使われていないメーカーに、水も粉も目分量でセットする。
コポコポと暖かい音がたって、よい香りがキッチンに漂った。
出来上がったコーヒーを、大きめのマグに注いで。いつもなら、ミルクと砂糖をタップリ入れるのだが。
そのまま、裕樹は口をつけてみた。
…ん、と。軽く顔をしかめる。
熱くて苦いブラックのコーヒーは、やはり美味しいとは思えなかったが。
それでも、そのままで飲んでいく。
ゆっくり時間をかけて飲み干すと、二杯目を注いだ。
それを飲み終えた頃、母が帰ってきた。
時刻は、この数日と同じ。仕事が終わって、真っ直ぐ帰宅したという頃合いである。
重い足取りで廊下をやってきて。
キッチンにいる裕樹に気づいた佐知子は、ハッと立ち竦んだ。
「おかえり」 立ち尽くす母に、裕樹は平静な声をかけた。
「……ただいま…」
ためらいながら、佐知子は小さく返して。キッチンには入らず、そそくさと廊下を通り抜けようとする。
「達也は」 裕樹は少しだけ声を張って、その名を口にして、母の足を止めた。
「ママが言うとおりにしても、戻っては来ないよ。きっとね」
別に牽制のつもりではなく、それが裕樹の率直な見解だった。
「……………」 佐知子は背を向けたままで裕樹の言葉を受け止めて。
肩のあたりの表情は、裕樹の言葉が正しいという哀しい認識を滲ませるようにも見えたが。
結局、なにも言わず、ふり返らずに、足早に自室へと消えていった。
裕樹も、それで構わなかった。用件は済んだから。
そのひとことを言うために、ここで母を待っていたわけだから。
立ち上がり、マグカップを流しに片して、裕樹も自分の部屋へと向かう。
言いたいことは言った。
もう、これ以上言うべきことはない。言いたいこともなかった。
母が、愚かにも達也への未練を引きずることは……勝手にすればいい。
だが、もしママが高本らに体を与えたとしても。それで達也との関係を復活させることなど出来ないだろうと。そう裕樹は念を押して。
どうやら、佐知子もそのことは理解しているようすだった。
ならば、高本らの求めに応じる理由はないはずだ。
それくらいの“正気”は、ママに期待していいはずだ。
「……期待、か…」 まだそんな言葉が出てくるのかと、ちょっと驚く。
ああ、でもそれは、明るい前向きな意味で言うのじゃない。
これ以上は堕ちてほしくない、と。それだけの望み。
いまは、そうあるべきだ。
“そんなはずがない”とか“そうであってほしい”とか。
そんな前提に立った思索の無意味さは、さんざん思い知ったから。
いまはただ、次の“事実”を待つ。それだけだった。
……その夜半。
トイレに下りた裕樹は、灯りを小さくしたキッチンに母を見つけた。
ガウン姿で座った母の前には、ワインのグラス。
眠れずに、ということだろうが。
では、眠りを奪うものは、なんなのだろうか。
佐知子は、泣いてはいなかった。
薄明かりの下に浮かび上がった横顔には悲嘆よりも焦燥が色濃く滲んでいるように見えた。
グイと、赤い酒をあおった動作にも、苛立ちがあらわれているようで。
ホウッと息をついて、グラスを置いた佐知子は。
その手で、卓上に置いてあった携帯電話を取り上げた。
顔前にかざして。なにが映っているのか、ひどく真剣な表情で小さな画面を見つめた。食い入るように見つめながら、
無意識の動きか、もう一方の手が我が身を抱きしめるようにまわされて。ギュッとガウンの脇のあたりを掴みしめた。
手の中の電話機を凝視し続ける眼が、潤んでいるように見えるのは飲みつけないワインのせいだろうか? 喉があえぎをついているのは…?
「………………」
そこまで眺めて。もちろん声を掛けることなどせずに。
裕樹は、静かにトイレに向かい、用を足して、部屋へと戻った。
……そんなふうにして、さらに三日を過ごした。
スレちがいの生活の中、それでも時折裕樹の目にふれた佐知子の顔にはどんどん焦燥の気配が強くなっていった。
学校では、高本が律儀に毎日経過を報告してきた。
佐知子は依然として高本からの電話に出ようとはしないらしい。
性懲りもなく高本が送り続けているという画像を、裕樹は見せられた。
ホレ、と、いきなり眼前に差し出された携帯から、当然すぐに顔を背けようとしたのだが。一瞬視界に入った下劣な画像に、思わずギョッと目を見開いてしまった。
「どうよ?これでも、佐知子には物足りないのかねえ」
そう訊きながらも、高本は自信たっぷりで。
そこに写しこまれた凄まじいペニスに、息をのんで見入ってしまっていた裕樹はようやく眼を引き剥がしたが。
自分と同じ中学生のモノとは信じられないような巨大さとグロテスクな形は、脳裏に焼きついてしまった。
そのせいで…というのは、イヤすぎる話だが。
その夜、裕樹は淫夢を見た。
母がいた。裸だった。
男とからみあっていた。
男は達也だったり高本だったりした。
裕樹でないことは確かだった。裕樹はどこにもいなかった。
達也あるいは高本は、巨大なペニスを母の中に挿しこんで、激しく腰を使っていた。
裕樹とは比較にならない大きなペニスに犯されて、母は悦んでいた。
それを裕樹は見ていた。見ているしかなかった。
やめろと叫ぶことも出来なかった。裕樹はそこにはいないのだから。
凄まじい苦痛と、経験したことのない昂奮を、裕樹は感じて。
不意に、盛大な放出の感覚と、腰が砕けるような快美に襲われた。
「……っ」 開いた目に映ったのは、暗い天井。
裕樹は自分のベッドにいて。ベットリと下着が汚れているのを感じた。
しばし、ボーッと天井を見上げて。
やがて裕樹は上掛けをのけて、寝たままでパジャマと下着を脱いだ。
ひとまとめに脱いだのを、ベッドの下に投げ捨てて。
下は裸のまま、萎え縮んだペニスを清めもせずに、上掛けを戻して、目を閉じた。
異常な夢については考えずに。この気だるさに浸って、
眠りに戻ろうとしたのだが。
邪魔するものがあった。声が、聞こえる。
裕樹は、自分を淫らな夢に誘ったのが、昼間高本に見せられた画像だけではなかったことを知った。
低く、かすかに。咽ぶような女の声が聞こえてくる。
床の下から。真下の母の部屋から。
すすり上げるような声、しかし悲しみにくれるというようには聞こえなかった。
艶めいた、淫靡な響きがある。裕樹が聞いたことのない母の声、女の声だ。
裕樹は、さらにキツく眼をつむった。
しかし、いつまでも声は止まなかった。逆に、徐々に高く強くなっていく。
ムズがるような啼泣に、募る切なさ、もどかしさを訴えている。
「……狂ってる…」 目を閉じたまま、裕樹は呟いた。
達也なのか高本なのか、いずれ我が子と同い年の若い男を恋しがりながら、自分で慰める母親。
その淫らな洩れ声に影響されて、母が同級生に犯される夢を見て、夢精する息子。
「……狂った家だ…」  
それでも止まぬ淫猥な声に、いつしか耳を澄まして、血をざわめかせてしまう自分ごと、そう吐き捨てた。
……そんなふうに、その三日間を過ごしたのだった。
その間、母が、悩み迷い続けたのか、ただ我慢を続けたのか。
裕樹にはわからない。
母が達也に突き放されてからは、十日あまりということになるが。
それが長かったのか短かったのかも、判断のしようがない。
どうでもいいことだった。
重要なのは、待っていた次の“事実”が判明したということだから。
ある夜…ということでいいのだろう、日を数えることが無意味ならば。
裕樹は、すべてが決着したことを知る。
その夜、電話の一本もよこさず、なんの口実も言い訳も裕樹に告げぬまま。
佐知子は帰らなかった。
眠らずに朝を迎えた。
眠れないということに、この期におよんでショックを受けている自分に、いまいましさを感じながらも。裕樹はひとりキッチンに座ったまま、夜を明かした、朝になり、いつも裕樹が起き出す時間になっても、母は帰らなかった。
終わったな……と。そんな述懐が浮かび上がって。
「……終わった…」 深く胸に沁みこませるように、声に出して繰り返した。
支度をして、いつも通りの時間に家を出た。
晴天の日だった。
眩しい朝の陽射しに、徹夜明けの目を細めて。ゆっくりと裕樹は歩き出す。
教室に、高本と市村の姿はなかった。
達也は登校していたが、例によって裕樹になど眼もくれない。
達也はもう関係ないのだ。
高本らが遅れるのも予想通りだったから、裕樹は普通に授業を受け、
ボンヤリと晴れた空を眺めて、時間を過ごしながら待った。
ふたりが現れたのは、昼休みの終わる頃だった。
「越野っ」
教室に入るなり大声で呼びかけて、ズカズカと近づいてきた高本は裕樹の前に立つなり、チョンチョンと手刀を切って、
「ごっつぁんです」 上機嫌に、そう言った。
「いやあ、マジでよかった、おまえのママ。サイコー。カラダはいいし、どエロだし」
「…ふうん」
勢いこんでまくしたてるのに、裕樹は軽く返して。高本の後についてきた市村へと視線を移した。

憔悴の色を浮べた市村は、やはり疲れた声で、
「…俺も、達也がらみで、いろんな女見てきたけど。おまえのママほどのビッチは、見たことがない」」
呆れたように、そう言った。
「だよなあ。あんなチ○ポ好きな女は見たことねえや。ありゃ、ホンモノだね。本格派のインランですよ」
「そうなんだ」
まるで他人事みたいに、あまりにも平然と受け答えする裕樹を、市村はしげしげと眺めたが。躁状態の高本は、そんなことは気にもとめずに、
「ま、これからはオレがバッチリ面倒みてやるからよ。ママのことは心配ご無用」
バシバシと裕樹の肩を叩いて請け負い、カカカと哄笑して。
身を翻すと、達也の席へとスッ飛んでいった。
「……あの底無しには、つきあうほうが疲れる」 しみじみと、市村は呟いて、
「その点でも、佐知子はたいしたもんだよ。あのケダモノと最後まで渡り合ってたからな」
挑発するような言葉にも、裕樹は表情を変えずに、
「仕事で鍛えてるからじゃないかな。看護婦の仕事ってハードだから」
「…なるほど。でも、その仕事も休ませちまったけどな、今日は」
「いいんじゃない。別に」
「……………」 しばしの沈黙。ちょっとボンヤリとした顔で裕樹を見ていた市村は、
「……ま、いいか」
首をひねって、ひとりごちると、取り出したビデオ・テープを裕樹の机の上に置いて、自分も達也の席へと向かった。

「………………」
裕樹は、市村が置いていったテープを手に取って、眺めた。
ラベルには、昨日の日付だけが書かれている。
ちょっと考えて。裕樹はテープを鞄にしまうと、次の授業の準備をはじめた。
最後まで、ちゃんと授業を受けて。
掃除当番もこなしてから、裕樹は家路についた。
家に帰り着くと、玄関の扉には鍵がかかっていなかった。
脱ぎ捨てられた母の靴が転がっていた。
……前にも、こんなことがあったなと思い出しながら。
裕樹は、邪魔くさそうに足でどけて、自分の靴を脱いだ。
前回と違ったのは、居間に母の姿を見つけたことだ。ソファに横たわっている。
「………………」
裕樹は静かに歩み寄って、それを見下ろした。
通勤着のまま、仰向けに横たわって。佐知子はグッスリと眠りこんでいた。
「……今日は、部屋までも辿りつけなかったんだ?」
眠れる母に、裕樹は尋ねた。
「そんなに疲れたの? そんなに楽しかった?」
抑えた声ではなく、普通に話しかけているのだが。
佐知子は目覚めない。人事不省といったようすで、深い眠りの中に沈んでいる。
閉じた眼の下には、クッキリと浮かんだくまが、その疲弊のほどを物語って。
しかし、その憔悴した顔や、しどけなく崩れダラリと片腕を下に落とした寝姿には、まぎれもない充足の色も滲んでいるのだ。
長い間の餓えを満たされて。少なくとも、この数日の焦燥と懊悩はキレイに拭いさられていた。
皺を刻んだブラウスの下の隆い胸は、健やかな寝息に波打ち。
寝顔は、かすかに微笑んでいるようにも見えた。裕樹が久しぶりに、本当に久しぶりに見る、母の微笑だった。
その安らかな寝顔から、つと眼を反らして。
裕樹は、夕方の光が差しこむベランダのほうを見るともなく眺めて。
「……高本、か」 その名を呟いた。
「……ねえ、ママ、覚えてる?僕が持ち物検査の時、高本に煙草を押しつけられて。ママが学校に呼び出されたことがあったじゃない。ママは、ナースの制服のままで、すぐに駆けつけてくれたよね。その格好のことを僕が冗談みたいに言ったら、ママは怒って。その後で、いつも高本にイジメられてたことを白状させられた。僕は、高本は宇崎の子分だから、逆らってもしょうがないって諦めてたんだけど。ママは、そんなことは関係ない、許さないって。本気で怒ってくれた。嬉しかったなあ……。ママは、ママだけはどんな時でも僕の味方なんだって。僕のそばにいて、力づけてくれるんだって。だから僕は、僕も、もっと強くなって。ママのことを守れるようにならなくちゃって。そんなことを考えてた」
窓の外を見やったまま、夢見るような顔で思い出を語って。
言葉を途切れさせた裕樹は、眠りこける母へと視線を戻して。
「……あれは……なんだったのかな?」 不思議そうに訊いた。
答えは帰らない。
裕樹は身を屈めて、佐知子へと顔を近づけた。クンクンと鼻を鳴らして。
「臭いよ。ママ」
確かに、佐知子の体や乱れた髪からは、すえたような臭いが伝わってきた。
乾いた汗、それだけではない異臭が。
「ママは、いつでもいい匂いがしたのに。いまは臭い」
詰るように裕樹は繰り返して。上体を折ったその姿勢のまま、少しの間、考えこんで。
「……ママは、達也が好きだって言った」 感情を消した声で、そう言った。
「騙されてたことも承知で、それでも好きだって。泣いてたよね。でも、達也の言うとおりにしたって、達也が戻ってこないこともわかってた。わかってただろう?」
こみ上げる激情に、徐々に声は高くなって。
「それならっ、これは、どういうことなんだよ?なんで、高本たちのところへ行ったんだよっ?なんで、いま、そんな幸せそうな顔で寝てるんだよ?あいつらが言ってたっとおりなの?ママは、ただ若い男とセックスしたかっただけなの?ただの淫乱なのか?ビッチなのかよ。答えてよ、答えろっ」
糾弾の声が完全に怒号と化して。
しかし、それでも佐知子は目覚めなかった。
ただ僅かに閉じた目許をしかめて、至福の眠りを邪魔されることの不快を訴えて。
それを退けようと、モゾモゾとソファの上で身体を動かして、向こう側へ寝返りを打った。
裕樹から、その寝顔を隠して。代わりに艶麗な曲線を描く背姿を見せて。
豊かな臀部を包んだスカートがまくれ上がって、生白い太腿がのぞいた。
「……メスブタッ!」 引っ裂けるような叫びを発して、裕樹は衝動的に足を蹴り上げた。
足はソファの底部にあたって、重たい音が響き、わずかに佐知子の身体は弾んだ。
それでも。佐知子は目覚めなかった。息子の同級生ふたりに与えられた
深い眠りから出てこようとはしなかった。
「………………」 肩を喘がせながら、そのふてぶてしいような寝姿を眺めて。
裕樹も急速に昂ぶりを沈めていった。
最後の激発で、感情は燃やし尽くしてしまった。
眠り続ける母を残し、裕樹は居間を出た。
廊下に置いた鞄を取り上げて、自室へと向かう。
「……痛いや…」 したたかソファに打ちつけた脛が、いまになって痛みはじめた。
馬鹿なことをしたなと思った。
片足を引き摺りながら、裕樹は階段を上っていった。
-30-
前触れもなく、映像は始まる。
明るい部屋の中、抱き合う男女の姿。
カメラは引き気味、全身が収まる位置から撮られているから室内の様子も写りこんでいる。
いかにもといった内装や調度から、ラブ・ホテルの一室らしい。
……よく入れたな、と。最初に観た時には呆れた。
連中が、こんな場所を確保していることは、驚くことでもないのだろうが。
女のほうは、どんな顔をして、この部屋に入ったのだろうか。
制服姿の中学生ふたりと。
カメラは、わずかに揺れながら、ふたりに接近していく。
女の後ろ側から、ゆっくりと近づいていって。数歩ごとに止まっては、ズーム・アップして。男のゴツイ手が、女のくびれた腰や豊かに張りつめた臀を、着衣の上から這いまわるさまを捉えた。
女のブラウスやスカートは、見覚えがあるものだ。
荒っぽくも執拗な男の手の動きに、女はかすかに身もがく。後ろに引いた腰に嫌悪の色が滲む。抵抗は弱く消極的なものだったが、その拒絶の気配から、抱擁が男の側からの強制的なものだとわかる。
カメラが、男の顔を写した。知っている顔、同じクラスの不良のいかつい顔を。
男―高本が、抱きすくめた女の首筋に顔を近づけると、女は背を反らして、それを避けようとする。黒髪が揺れる。
カメラは、回りこみながら、さらに近づいて。横から、ふたりを撮る。
『…なっ』 ようやく、撮影されていることに気づいた女が驚愕の声を上げる。
強張った表情をカメラが捉える。はっきりと、その顔を映し出す。
『やめて、撮らないでっ』
女―佐知子は、狼狽して、体の前に突っ張っていた手をカメラへと伸ばす。
『達也に報告しなきゃならないだろ』 撮影者―市村が答える。
『そん、な……ひあっ』 抗議の声は、高本に首を吸われて、悲鳴に変わる。
『や、やめてっ』
『…ああ、甘えなあ』
高本はうっとりと言って。なおペロペロと舌を這わせて、佐知子を身悶えさせ、嫌悪の声を上げさせながら、
『越野のママの肌は甘いや。それに、どこもかしこも熟れきって』
佐知子の豊臀を抱えた手に力がこもって、
『乳もケツも張り切ってよう。ムッチムチで、やわこくて』
『ああ、いやぁ』
屈強な腕に抱き寄せられ、さらに体を密着させられて。その荒々しさに怯える佐知子の表情を、カメラが追う。
『と、撮らないでっ』
『なんだよう、そんなの気にしてないで、気分を盛り上げろよ、ママさん』
グイッと、高本は引き寄せた佐知子の腹に腰を押しつけて、
『ほら。オレ、もうこんなになっちゃってるよ。わかるだろ?』
『ヒ、ヒイッ』 翻弄される佐知子の身体が、ギクリとこわばった。
『ホラホラ、久しぶりだろ、この感触も』
鼻息を荒げて、高本は淫らがましく腰を使ってみせる。
『い、いやっ』
『イヤってこたあねえだろ。スキなんだろ? 若くて、イキのいいチ○ポが』
『達也のでなきゃ、イヤなんだろうさ』 市村が口を挟む。
『そこは間違えちゃダメだよ、高本。今日、越野のママさんがここへ来たのも、達也とヨリを戻すためなんだから』
『チェッ。色男にゃあ、かなわねえってか』
どこか空々しい会話が交わされて。そんなふたりを交互に見やる佐知子の不安げな眼をカメラは記憶する。
『ま、なんでもいいや。この熟れ熟れの身体を抱けるんならよ』
そう言って。高本は佐知子に顔を寄せて、
『キスしようや。美人のママさん』
アッと、咄嗟に佐知子が顔を背けようとするのを許さず、強引に唇を重ねた。
分厚い唇が肉感的な紅唇に吸いついて。しかし、キツク口を引き結んだ佐知子に、すぐに高本は顔を離して、
『なんだよ、ガキじゃあるまいし。ベロかませろよ』
『………………』
『この期におよんで逆らったって、しょうがないだろ』
頑なな拒否の気ぶりを示す佐知子に、市村が言った。
『せいぜい素直にして。とっとと終わらせること考えたらいいんじゃないの』
『………………』 カメラを(市村を)見やった佐知子の眼に懊悩が滲む。
『そうだぜ。イヤイヤだろうと構わねえけどさ。こっちはママさんが宇崎クンにアピールするのに協力してんだから。好きなようにやらせてもらうぜ』
勝手なことをほざいて。また高本は佐知子の唇を奪う。
『……ム…』
かすかにうめいて。キツく瞼を閉じた佐知子だったが。口は僅かに緩んで。
すかさず挿しこまれた高本の舌は、傍若無人な蠢きを開始する。
佐知子の舌をからめとり、思うさまに口腔をねぶりまわす。
技巧もなにもなく、まさに貪るといった激しさで同級生の母親の口舌を食らう。
『……フ……んん…』 佐知子の鼻から洩れる苦しげな呼気を、マイクが拾う。
否応なく流しこまれた唾を飲み下す、白い喉の蠢きをカメラが捉える。
佐知子の眉間に刻まれた嫌悪の皺を、長く執拗な口吸いが、力づくで解かしていくのを。佐知子の白皙の頬に、徐々に血が昇って、
抱きすくめられた体から力が抜けていくさまを。
カメラは撮り続ける。
『ああ、口ん中も甘えや』 ようやくキスを解いた高本が、満足げな声を上げる。
その腕の中で、上気した顔を仰のかせた佐知子は、濡れた唇を震わして、荒い息をつく。
のしかかるように、その面を上から覗きこんで、
『ヘッヘ、口吸われるのも久しぶりだろ。どうだった?』
また引き寄せた佐知子の腰に、グリグリと股間を押しつけながら、高本は訊いた。
『宇崎クンから聞いてるぜ、いつもキスだけで腰くだけになっちゃって、下もビチョ濡れになっちまうって』
『……………』 
佐知子の顎がわななき、横顔に悲痛な色が浮かぶ。“秘密”であったはずの達也との行為が、すべて筒抜けだったことを改めて突きつける高本の科白に。
『だから、それは相手が達也の場合だろ』
その哀切な表情を逃さず収めながら、市村が言った。
『ああ、そりゃあね。愛しい達也サマとは、比べものになんねえだろうけど。超絶テクだしねえ、宇崎クンのキッスは』
『その超絶テクで、今頃は他の女の腰をトロかしてるんだけどな』
『……っ』 市村の言葉に、露骨な反応を示してしまう佐知子。
その動揺につけこむように、
『それを取り返したけりゃあ、ってことだよ。そのために来たんだろ?』
『そうだよう。恋しい達也サンに、また可愛がってもらいたいんだろう』
市村が念を押し、高本も調子を合わせる。佐知子の行動がすべて達也のためだという前提を、繰り返し確認する。
達也への忠誠を証して、もう一度寵愛を得るために仕方なく自分たちに身をまかせる佐知子の心情は承知していると、ことさらに強調するのだった。
『つーわけで。ホイ』
『アッ…』 妙な掛け声と共に、高本は佐知子の体をクルリと回転させる。
佐知子は、高本に後ろから抱かれるかたちに変わって、市村の構えるビデオ・カメラと正対することになる。
『い、いやっ』 横に背けた顔をかざした手で隠すようにして、
『撮るのはやめてッ』
『ちゃんと言いつけを守ったって、達也に証明できなきゃ、嫌々抱かれる甲斐がないだろ』
『そうそう。ほれ、カメラのほうを見て。笑って笑って』
『いやぁ』
『しゃあねえなあ。じゃ、ボディのほうからオープンすっか』
まずは、と。高本は両手で佐知子の胸をギュッと掴みしめて、
『やっぱり、このデカ乳からだな。うひょ、どうだろ、このボリューム』
『や、やめ…ヒッ、アァッ』 数度、巨大な肉房を荒っぽく揉みしだいて佐知子を囀らせて。
『ああ、たまんね。やっぱ、早く生の感触を味あわないと』
顔面を紅潮させ息を荒げた高本は、しかし、その激しい昂奮を抑えつけて。
慎重な動きで、佐知子の胸のボタンに指をかけた。
『いやっ』反射的に佐知子は高本の手を掴んだが。
『じゃあ、自分で脱ぐ? ストリップやってくれるってなら、それでもいいけど』
『おお、それもいいねえ。なんか音楽流して、腰をフリフリ色っぽく踊りながら、脱ぎ脱ぎしてくれるってなら』
どうする?と。高本は佐知子のブラウスのボタンを指で弾いた。
『……………』力なく、佐知子の手が下ろされる。
『ん? ストリップはなし?』
『そんなサービスは、達也にしかしないってさ』
『ああ、やっぱねえ。それじゃあ、オレが脱がしてさしあげるしかねえやなあ』
そう言った次の瞬間には、太い指が一番上のボタンを外していた。
佐知子は顔を横に背けたまま、もう抗おうとはしない。
『へっへへ…』
巨躯を佐知子に覆い被せるようにして、徐々にはだけられていく胸肌をのぞきこみながら。
ゆっくりと、順に高本はボタンを外していった。
『おおっ、深~い谷間が見えてまいりましたよ』
正面からの画面も、開いたブラウスの間から、隆い肉丘の裾野と下着の黒い色がチラチラと覗くさまを映し出している。
下までボタンを外しおえると、高本は両手でブラウスの合わせを掴んで、
『ジャッジャーン』バッと、一気に左右に広げた。
黒い下着を纏った、白い半裸があらわになる。
『うおおお、デッケえっ』
間近に見下ろす、熟れた巨乳の量感に、高本が感嘆の声を洩らし、佐知子は横へねじった首筋に朱を昇らせて、唇を噛む。
『ヘヘ、それに。なんだかんだ言いながら、約束どおりにエロい下着で来たんだな』
パチンと細い肩紐を弾いて。首を伸ばして、豊満なふくらみの下半分だけを覆った黒いブラジャーを嬉しそうに眺めながら、高本が揶揄する。
『しっかし、どうよ、市やん?エロいのはいいけど、ちいと年甲斐がない気もするよなあ』
『よく似合ってるじゃないか』
佐知子には嬉しくもないだろう称賛を市村は口にする。カメラは、半ば剥き出された巨きな胸乳から、ゆっくりと舐め上がって。
『達也の気を引くためなら、年甲斐なんか気にしちゃいられなかったんだろ』
鎖骨のくぼみ、つやつやと光る丸い肩を写し、恥辱にたえる横顔へと戻った。
『そりゃ、涙ぐましいけどさ。これ、ナースの白衣からはスケスケで、病院中の笑い者になってたっつーじゃん』
『それも、愛しい達也のためなら、なんでもないんだよ』
調子づいたやりとりに、またひとつ達也の裏切りを突きつけられて。
佐知子の面には絶望の色が濃くなる。
高本は、勿体をつけるように、高級そうな下着の感触を指先でなぞっていたが。
『うー、エロい下着もいいけど。そろそろ、生を拝みてえなあ』
すぐに昂ぶりを堪えきれなくなったようすで、カメラを見やった。
『好きなようにやれよ』と、許可を出すのは、市村だ。佐知子ではない。
『よっしゃ』
即座に高本は、佐知子の二の腕にわだかまっていたブラウスを、肘のあたりまで引き下げて。佐知子の背中へと手をまわした。その手を、もぞもぞと動かすように見えたのは、わずかな間。
佐知子の肩に食いこんでいた黒いストラップが、ふっと緩んだ。
『……ぁ…』微かな声を洩らした佐知子が、心細げな表情で自分の胸元を見やる。
たわわな肉果の下側に貼りついていたカップも、その密着を失う。
わずかにズリ落ちただけで、乳うんの色づきが現れる。
『ウヒヒヒ』
下卑た、本当に嬉しそうな笑いに喉を震わしながら、高本は両の肩紐を強引に腕まで引っ張って。仕上げに、前にまわした手で
ズレたブラジャーの中心を掴んで。グイと引き下ろした。
荒っぽい剥奪に、ユサリと揺れながら。豊艶な乳房が、その全容をあらわす……それは、見慣れた、懐かしい乳房。
少し前まで、この手で愛で、口で味わっていた。
大好きだったママのオッパイ。
 でも…こんなだったろうか?
 自分を育み、優しく抱いてくれた母の乳房は。
 こんなにも、いやらしかったろうか。
『うっわッ、たまんね、エロすぎ、このデカ乳』
映像の中で、高本もそう言っている。はしゃいだ声で。
『さすがに、ちょっと垂れてるな』
冷徹に市村は評して、その目線のままにカメラは裸の乳房を捉える。
確かに、抑えを失った豊かな肉房は、その底部の丸みを
引き下げられたブラの上へと落とし、頂の位置もわずかに下がっている。
肉が溢れ出したといった感じ。
『そりゃあ、このデカさじゃねえ。年も年だし』
両脇から伸びた武骨な手が、零れ落ちたふくらみを掬い上げて。
『ブフフ、この重み。みっちり肉がつまってんなあ』
嬉しそうに言いながら、軽く掌を上下させる。タプタプと、巨きな肉鞠が、重く柔らかく揺れ弾む。
『この乳を、さんざん宇崎クンに揉まれてたわけだ』
『息子にも、な』
『ああ、そりゃイカンですよ。いくら男が欲しくても、相手は選ばないと』
こともなげに母子の秘密を暴かれ、嘲侮されて。
一瞬、佐知子の肩が強張ったように見えたが。反応はそれだけだった。
俯いて、流れた髪に表情を隠して。諦めたような従順さで、高本に身を任せている。
充実しきった肉果の重さを堪能すると、高本は十指を広げて、その大きな手にも余る豊乳を鷲づかみにする。
『うひゃひゃ、トロットロ、指が埋まってくよ』
ジンワリと力を加えれば、その言葉のとおり、爛熟の柔肉はズブズブと指を埋めこんで、その艶美なシェイプを歪める。
『トロトロのプリプリだあ、最高だ、この熟れ乳』
高本は恍惚たる声を上げて。その極上の感触に煽られて、玩弄の動きを強く荒くしていく。指を食いこませ、揉みしだき、こねくりまわす。
蹂躙され、さまざまにかたちを変えてみせる、白く豊穣な肉。
しかし、握り潰され、搾りこまれて、どんなふうに形を歪めようとも。
嬲られる乳房がまとう表情は……淫ら。
それはもはや、母性を象徴する肉の実りではなく。
ひたすら、男の欲望をそそり、男に快楽を与えるためだけに存在する、牝の備えなのだと。
画面の中で揺動する白い肉塊は、告げている。
そして。
『……ん……』苦しげな声が洩れる。
俯いた顔が、小さく弱く左右に打ち振られる。
『んー? なんか、声が出てきましたか』
高本は、佐知子の白い首に顎を擦りつけて、伏せた表情を覗きこむ。
『もっと、優しくしてくれってさ』市村が言った。
『感度が良すぎるくらいの乳だって、達也から聞いてただろ』
『でもよ、その感じやすい乳を、手荒に扱われるのが好きだとも言ってたぜ』
どうよ、ママさん? と、高本は佐知子に訊く。
『キモチよくない? やっぱ、宇崎クンの手じゃないとダメかねえ』
耳に吹きこむように、くどく問いかけながら、またギュッギュッと掌中の柔肉を揉み潰す。
『……ふ……ム…』
『おうおう、色っぽい声だけどさあ。フンとかアンだけじゃわかんねえよ』
そう言いながら、高本の声には、なにかを確信したような響きがあって、
『なあ、市やん、佐知子ママの乳首、どうなってる?こっちからじゃ見えねえのよ、デカ乳が邪魔で』
そんなはずもないのに。わざとらしく確認する。
『勃ってるな』
簡潔に市村は答えて。カメラは、さらに近づきながら、玩弄される胸の頂、肉房に食いこんだ指の間から屹立しているセピア色の蕾を、アップで撮る。
『ビンビンだ』
『ほっほう、どれどれ』
高本は掴みしめた双乳を回すようにして、両手の親指と人差し指で、ふたつの乳首を同時に摘んだ。
『ヒッ、あ、』途端に佐知子は、引いていた顎を跳ね上げて、甲走った声を噴きこぼす。
『おお、勃ってる勃ってる。ママのデカ乳首、ピンコだちだあ』
愉しげに騒ぎたてて、高本は摘んだ突起を前方へと引っ張った。
『い、いたッ、やめ…』
『ブヒャヒャ、伸びる伸びる、ビヨヨーン』
粒だった乳輪ごと引き伸ばされた乳首のさまを笑って、パッと指を放す。
『あ、あぁ…』
『ヘヘ、伸縮自在、ゴムみてえ』
充血の色を強めて震え慄いているような濃茶の肉蕾を、もう一度摘んで、上下左右へと引っ張りまわす高本。
『う、あ、いやぁ』
上気した頬を苦痛と恥辱に歪め、涙の滲んだ眼で虐げられる乳首を見やって。
佐知子は、か弱く、泣くような声を洩らすのみ。
ひとしきり佐知子を苦痛に啼かせると、高本は乳首への弄いを指先でこねまわすようなものに変えて、
『こうやって、このデカい乳首をイジくられただけでも、イッちゃうんだって?佐知子ちゃんは』
佐知子は、ジットリと汗を光らせた首をねじって、すり寄る高本の顔を避ける。
『ここに、宇崎クンのチ○ポこすりつけて、乳首ファックとか言って喜んでたんだろう? いいなあ、オレもやってもらいてえ』
『……………』
『ありゃ? どったの? 泣いてるの?』
高本の言葉通り、佐知子の閉じた眦から零れた涙の粒を、カメラで追いながら、
『“ヒドイわ、達也くん”ってか』
嘲笑まじりに、市村が言う。
『本当に、越野のママは可愛らしいな。カラダのほうは、熟女の貫禄たっぷりなのに』
『なんだよう、イジメんなよ、オレの佐知子たんを』
高本は、わざとらしく憤慨して、佐知子を庇うようにカメラに肘を張ってみせて、
『佐知子たんはなあ、ボディは熟れ熟れエロエロだけど、心は乙女なんだよ。さもなきゃ、中学生の男に、本気で惚れたりするわけないだろ』
『なるほど』
『おお、よちよち、泣かないでね、佐知子ちゃん。ホント、あの宇崎だの市村だのはヒドいヤツらでちゅねえ。年増女の純情を踏みにじってねえ』
高本は、幼児にするように、母親ほどの年齢の女をあやして、
『オレが、涙を拭いてやるからねえ』
『い、いやっ』
厚い舌を出して、佐知子の頬からこめかみへと、涙のあとを舐め上げた。
『涙も甘いかよ?』
『うーん、ぶっちゃけ、化粧の味やね』
市村の問いに、ミもフタもない答えをかえして、
『脂っこくて、なんか、いかにも熟した味わいっつーか。でも、それがイイ!』
それが気に入ったと、再び舌を伸ばして、佐知子の顔中をベロベロと舐めまわしにかかる。
『いやぁ』佐知子は嫌悪の叫びを上げて、這いまわる舌から逃れようとするが。
裸の双乳を高本の手に握られた状態であっては、懸命の忌避も虚しく、頬や口許はもちろん、顎や鼻、閉じた瞼の上や、苦渋にしかめた眉間にまで、不潔な唾を塗りこめられてしまう。
捕らえた獲物を、まずは舌で味わう高本は、その行為に急速に昂ぶりを強めて。
荒い息をつき、ギラギラと眼を輝かせたさまは獣じみて、大きく開いた口の端に凶暴な牙を幻視させる。
柔らかな胸に食いこませた指も、滾る獣欲をそのままにあらわして。
爛熟の牝肉を揉み搾り、爪を立て、握り潰す。
『……ク……んんッ……』
佐知子も無駄な抗いは捨てて、キツく眉を寄せ唇を噛んで、顔と乳房への凌辱を耐え忍び。
そして。
『……フッ…ア……』堪えきれず洩らす声が、徐々に変化していく。
ただ乱暴で、技巧など少しもこもらず、しかし確かな慣れを感じさせる嬲りを繊細な乳房へと受けるうちに。
『…あッ……フ…んッ…』
純然たる苦痛の声から、もっと微妙な感覚を訴えるものへと変わる。
深く眉間に刻まれた嫌悪の皺が薄れていく。
不意に高本は、佐知子の汗ばんだうなじに噛みついて。キリリと歯を立てながら、
両の乳首を指先で捻り潰した。
『ヒアアアーッ』
ビクリと顎を反らし、肩をすくめて、佐知子が張り上げた叫びは、ほとんど嬌声だった。

Last Update : 2008年12月04日 (木) 7:55